祖母を置き去りにした記憶と自責
拾い画像です。
大学生の女性が新聞に投稿したという文章。
幼い頃から慕い、優しかった祖母。しかしある日、共に逃げる途中で「もう走れない」と座り込んだ祖母を前に、投稿者は背に乗せきれず謝りながら一人で逃げ出してしまったそうです。
その後、別の場所で祖母は遺体となって見つかり、彼女は「祖母を見殺しにした」と自分を責め続けている――そんな内容でした。
ここでふと考えさせられるのは、祖母の体力が加齢によって自然に衰えていたのか、それとも生活の中で支払わねばならない必要経費に追われ、精神的にも肉体的にも消耗していたのか、という点です。年齢だけでは片付けられない要因があったのかもしれません。
「置き去りにした」という一点で自 分を呪い続ける投稿者の苦しみは計り知れませんが、同時に、家族や社会の中で高齢者をどう支えられるかを問いかける記事でもあるように思えます。
私自身も祖父母の介護に携わった経験があり、この投稿者のような苦しみや葛藤を間近で見てきました。 高齢者が体力的に弱るだけでなく、日常生活の中で精神的・肉体的に消耗していることは多く、単なる老いの問題と片付けられません。介護や支援をする家族も精神的・時間的負担が大きく、時に限界を感じることもあります。 投稿者が祖母を背負いきれず、逃げ出してしまったシーンは多くの人が直面しうる現実の一つでしょう。責める気持ちは痛いほどわ かりますが、過酷な状況下での自己判断であり、責任を一人で背負い込む必要はないと感じます。 社会全体で高齢者を支えられる体制づくりや地域間の助け合い、家族間の心のケアがもっと広がることが不可欠です。 この投稿を通して、私たちそれぞれが自分の身近な高齢者をどう支えるか、そしてもし同じような苦しい選択を迫られたときにどう向き合うかを考えるきっかけにしてほしいと思います。


あなたがおばあちゃんを見捨てたんじゃない、おばあちゃんがあなたを救ったんだ。 と、伝えてあげたい。