旅侍がウクライナから日本に来たきっかけ
ヴィタリがウクライナから日本に来たきっかけは、高校時代に始めた合気道でした。
ウクライナでは格闘技は“身を守るための技術”として強い文化があります。
でも合気道や空手に触れて、これは格闘技じゃなく“哲学”なんだと気づきがあり、そこから茶道や書道など、さまざまな“道”について知り、日本という国の深さに魅了されたと語ってくれました。
『道』には人生の意味が込められている。
続きはプロフィール欄のYouTube URLから
「ヴィタリ ウクライナ」で調べる人って、出身や経歴だけじゃなくて、“どうして日本に惹かれたの?”という動機を知りたいことが多い気がします。私も動画で初めて旅侍ヴィタリを見たとき、51カ国を旅したウクライナ人という情報よりも、話し方の落ち着きと「武道は格闘技じゃない」という言葉が妙に印象に残りました。 ウクライナでは格闘技が「身を守るための技術」として根付いている、という話はすごく腑に落ちます。環境によって“強さ”の定義が変わるのは自然なことだし、まずは実用性が重視される。ところがヴィタリの場合、合気道に触れたことで「勝ち負け」よりも「自分の心の置き方」や「相手との距離感」に意識が向いたんですよね。ここが、日本の武道の面白さだと思います。 私自身も、武道経験は浅いですが、稽古の場に行ったときに感じたのは“技を学ぶ”というより“習慣を整える”感覚でした。礼から始まり、呼吸や姿勢を意識して、相手をねじ伏せるより先に自分の雑念を落とす。強くなるための最短ルートではないかもしれないけれど、続けるほど生活の質が上がるタイプの学びというか。 さらにヴィタリが「合気道だけじゃなく、茶道・書道みたいな“〇〇道”に惹かれた」と話していたのも納得です。日本の“道”って、技術を磨くのと同じくらい、所作や精神性、積み重ねの時間そのものが価値になる。だから「道には人生の意味が込められている」という言葉が、単なる名言じゃなく実感として伝わってきました。 もしヴィタリに興味を持った人は、出身(ウクライナ)や旅の話だけでなく、「なぜ日本を選んだのか」「武道のどこに哲学を感じたのか」に注目すると、発信の魅力がより分かりやすいと思います。動画を見るときも、合気道を始めた高校時代の話から、日本行きたい!に繋がる心の変化を追うと、彼の言葉がすっと入ってきます。