なぜ女性は哲学を学ばないのか
哲学を学ぶ女性はなぜ少ないのだろうか。一般的に、文学部の女性比率は高いが、哲学科は女性比率が低い事も多い。そもそも哲学を学ぼうとする女性、哲学書を読もうとする女性も少ない。なぜだろうか。いくつか仮説を立てたのだが、女性は人生に迷った時、哲学に救いを求めるのではなく、宗教にそれを求めるのではと考えた。しかし、私は伝統宗教、新興宗教、一神教に多神教、行ける所は全て行ったが、どこも女性信者より男性信者の比率が高かった。もう一つの仮説だが、男性と女性の決定的な違い、それは女性が出産を経験する事だ。人間は誰しも死ぬまで死を経験する事はできないが、女性は子供の肉体を生み出すという事を体験する。女性は物心ついた時から、自分がいつかは子供を産むという自覚のままに生きていく。必然と、子供に対して自己の生を相対化 し、男性のように自分の生についてこだわる事から解放されているのではないか。私は男性だが、漠然とそう考えている。
「哲学」を検索してここに来た人の多くは、哲学そのものの定義や役立ち方、そして“どうやって始めればいいか”を知りたいのだと思います。私自身も最初は、哲学が「頭のいい人の議論」みたいに見えて距離がありました。でも読み進めるうちに、哲学は意外と生活の言葉に近いと感じるようになりました。たとえば「なぜ生きるのか」「自分は何者か」「正しさは誰が決めるのか」みたいな問いは、人生で迷った瞬間に自然と湧いてきます。 この記事のテーマである「なぜ女性は哲学を学ばないのか?」については、学ぶ/学ばないを性別で単純化できない前提は置きつつも、“哲学への入口がどんな形で用意されているか”は大きい気がします。哲学書の多くは、抽象語が多く、議論の前提(西洋思想史や論理学的な作法)を暗黙に要求します。これが「読む前に体力がいる」壁になりやすい。一方で、宗教や心理学、自己啓発は体験談や物語から入れるものが多く、悩みの局面ではそちらが先に手に取りやすい…というのは実感としてあります。 また、画像(哲学書を読む男性と、赤ちゃんを抱く女性の対比)のように、ケアや育児の時間が生活の中心に入りやすい人ほど、まとまった“思索の時間”が取りにくい現実もあります。哲学は短時間でも読めますが、集中して概念を追う必要があり、細切れ時間だとつらい。これは能力の問題ではなく、環境の問題として語ったほうが建設的だと思いました。 「哲学を始めたい」人向けに、私がとっつきやすかった入口も書いておきます。 ・まずは“問い”で選ぶ:『ソクラテスの弁明』のように、人生と直結したテーマから入ると読みやすいです。 ・1冊丸ごと読破を目標にしない:序論や解説、章のまとめだけでも十分得るものがあります。 ・日常に接続する:育児・仕事・恋愛・介護など、具体的な経験を「それって何が正しいの?」「私が当たり前と思ってる前提は?」と問い直すだけで、もう哲学っぽい作業が始まっています。 結局、「哲学を学ぶ人が少ない」のは女性に限らず、哲学が入口で損をしている面もあると思います。だからこそ、難しい言葉の前に、“自分の人生の実感”から哲学へつなげるルートを増やせたら、もっと身近になるはずです。

確かに。哲学が何故人は生きるのだろうと、問う学問であるなら、母親にとってはそれは明白ですよね。この子のために生きる、と決まっている。考えてる時間はないんです。