60過ぎても人間関係で傷つく時って、弱いんじゃなくて、まだちゃんと生きてるんじゃない
あなたは最近、誰かのことを引きずったことがあるだろうか。
大きな喧嘩でも、裏切りでもない。ただ、挨拶の返事が素っ気なかった。それだけのことで、一日中もやもやした。
60過ぎた私が、である。
情けないと思った。でも同時に、「あ、私はまだ人のことが気になる人間なんやな」とも思った。
それって、悪いことじゃないかもしれない。
① 「この年になったら楽になる」は、嘘だった
若いころ、こう思っていた。
「60代になったら、もう人間関係でしんどい思いしなくていい。そういう煩わしさから自由 になれる」
まったく、そんなことはなかった。
形が変わるだけで、悩みの量は変わらない。ママ友から近所付き合いへ、職場の人間関係から地域のコミュニティへ。ステージが移るだけで、人と人の間に生まれる複雑さは、どこへ行っても同じようにある。
むしろ体力が落ちた分、心のしんどさが前よりずっしりくる気がする。
これ、私だけかな。
② 近所付き合いという、静かな戦場
会ったら挨拶する。それだけのはずなのに。
「あの人、今日は返事がなかった」「なんか顔が冷たかった」「もしかして何か気に障ることをしたかな」
こういうことを、60を過ぎた私は考える。考えて、引きずって、夜にふと思い出す。
自分でも呆れる。でも止められない。
人間って、本当にちっちゃい。ちっちゃいまま、60代になる。
でもたぶん、これは「ちっちゃい」んじゃなくて、「繊細」なんだと思う。人との関係を大切にしたいから、小さなことが気になる。そう思ったら、少し自分を許せた。
③ 世代を超えた会話が、視野を広げてくれる
響の家でのセミナーで、70代・80代の方と話す機会が増えた。
「昔は電話もなかったから、手紙で全部やりとりしてたんよ」「そのころはね、隣近所で助け合うのが当たり前やった」
そうか、そういう時代を生きてきたんやな、と気づかされる。私が「当たり前」と思っていることが、当たり前じゃなかった時代がある。
若い子と話すと、また違う気づきがある。
「え、それって普通じゃないんですか?」という感覚のズレが、逆に新鮮だったりする。そうか、今はそういう感覚なんやな、と。
上も下も、私の知らない世界だった。人間関係の悩みは、どの世代にも等しくあるんだと知って、なんだか少し安心した。
④ 「ありがとう」を早めに言うようにした
若いころの私は、「ありがとう」がうまく言えなかった。
照れくさかったのか、恥ずかしかったのか。「そんなこと言わなくてもわかるやろ」と思っていた部分もあった。
でも、わからない。言わないと、伝わらない。
60を過ぎてから、「ありがとう」を早めに言うようにした。思った瞬間に、すぐ言う。後でまとめて言おうと思うと、タイミングを逃す。気持ちは、賞味期限が短い。
遅すぎることはないけれど、早い方がずっといい。
これに気づくのに、60年かかった。
⑤ 友達の定義が、変わった
20代のころ、友達は「一緒にいて楽しい人」だった。
毎週会って、どこかに出かけて、たくさんしゃ べって。そういう関係が友情だと思っていた。
今は違う。
「連絡が途絶えても、また会えたら続きから話せる人」が友達だと思う。
数年ぶりに会っても、昨日の続きみたいに話せる人。沈黙があっても居心地が悪くない人。そういう人が、本当の意味での友達なんだと気づいた。
そういう人、何人いるだろう。
指で数えられるくらいでいい。それだけいれば、十分すぎるくらい豊かだと思う。
⑥ 夫に「期待しない」を覚えた
「なんで言わないの」「なんでわかってくれないの」
結婚してから何十年も、そう思い続けてきた。
60を過ぎてから、「まあ、ええか」に変わった。
これは諦めかもしれない。でも諦めって、悪いことばかりじゃない。期待しすぎないから、してくれたときに素直に嬉しくなれる。小さな親切が、ちゃんと届く。
夫婦って、最終的にそこに落ち着くのかもしれない。
それはそれで、悪くない。むしろ、やっと楽になれた気がしている。
⑦ 人間関係を傷つけるのは、「期待」だった
こうしてほしい。こう言ってほしい。こう思ってほしい。
その期待が外れたとき、傷つく。裏切られた気持ちになる。でも相手は、そんな期待があったことすら 知らなかったりする。
期待は、自分の中で勝手に育って、勝手に爆発する。
「してくれたら嬉しい」くらいでちょうどいい、と気づいてから、少し楽になった。
してくれなくても、しょうがない。してくれたら、嬉しい。それだけでいい。
シンプルなことなのに、これに気づくまで何十年もかかった。
まとめ:人間関係は、60過ぎても修行中
完成しなくていいと思う。
ずっとうまくいかなくて、ずっと悩んで、それでも誰かと関わり続けることが、生きるということかもしれない。
60を過ぎても傷ついたり、引きずったり、夢の中で同窓会に出て気まずい思いをしたりする。
それって、弱さじゃない。まだちゃんと人と向き合って生きている証拠だと、今は思う。
あなたの人間関係、最近どうですか?
しんどいことがあっても、誰かの言葉を読んで、ちょっとほっとできたなら嬉しいです。
60歳を過ぎると、今までの人生経験を積み重ねた分だけ「人間関係」というものに対して感じ方や考え方に深みが増すことを実感しています。私は日々、近所付き合いや昔からの知り合いとの触れ合いの中で、ふとした些細な挨拶の返事が素っ気なかっただけで心がざわつくことがあります。昔はそんなことで揺れる自分を「歳なのに情けない」と思っていましたが、今は「これは自分がまだちゃんと人とつながり続けている証だ」と感じるようになりました。 また、世代を超えた交流が私の視野を広げてくれました。70代や80代の方から昔の暮らしぶりを聞くと、感謝と思いやりが当たり前だった時代があったことを知り、今の日々の人間関係を見つめ直す契機になります。若い世代との意見交換も同様で、感覚や価値観の違いに驚きつつ、それぞれの立場から学べるのが貴重な体験です。 私は60歳を過ぎてから、感謝の気持ちは思ったらすぐ伝えることの大切さに気づきました。昔は照れや「わかってくれるだろう」という甘えもあり、言いそびれることが多かったのです。今はその場で「ありがとう」と伝えることで、関係がより温かくなっていくのを実感しています。 さらに、友達の定義も変わりました。若い頃は頻繁に会って楽しいことが友情の基準でしたが、今はたとえ連絡が途絶えてもまた会った時に自然と話せる人が、本当に大切な友達だと感じます。そういう人が数人でもいれば十分で、そのありがたみを噛みしめています。 最後に、期待の持ち方も変わりました。長年夫への期待で傷つくことが多かった私ですが、「期待しすぎない」ことを覚えてからは、小さな思いやりや親切を素直に受け入れられるようになり、夫婦関係も穏やかになりました。期待が強いと裏切られたような気持ちになりますが、ほどよい距離感を保つことで人間関係のストレスは軽くなると感じています。 このように、60歳を過ぎても人間関係は修行中であり、悩みや傷つく感情は皆が共有する人間らしい営みです。弱さではなく、生きている証。そんな気持ちをもって日々を過ごすことが、豊かな人生の鍵ではないでしょうか。


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