【押尾コータロー】「戦場のメリークリスマス」作曲:坂本龍一 / 編曲:押尾コータロー

七原くんに凸した後、押尾コータローさんのライブに行ってきました!

演奏を間近で見ることができて、いろいろと勉強になりました🧐

この曲はソロギターで有名な「DADGAD(ダドガド)」というチューニングが使われています🎸

運指を楽にしてメロディを弾きやすくするためのものですが、弦を緩める分、テンション(張り)がなくなって音を出すのが難しくなります💦

その中で、ハンマリング、プリング、タッピングを駆使してピアノのように美しい音を響かせる技法は、まさに圧巻の一言でした✨

配信の神から、ギターの神へ👼

最高に有意義な1日になりました!

#押尾コータロー #ソロギター #戦場のメリークリスマス #アコギ #ライブ

恵比寿ガーデンプレイス
5/16 に編集しました

... もっと見る※ここからは、曲そのものというより「検索で一番多い疑問」だった“生き埋めはなぜ?”について、私が映画を見返して整理したメモです(ネタバレ要素あり)。 まず前提として、『戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr. Lawrence)』は戦時下の捕虜収容所が舞台で、規律・面子・恥の感覚が強く働く世界として描かれています。だから現代の感覚で「なぜそんな極端なことに?」と感じやすいんですが、あの場面は“合理性”よりも“規範から外れたことの重さ”が前面に出ています。 いわゆる「生き埋め」に見える処罰(埋められる/埋められかける描写)は、単なる残酷演出というより、権力側が秩序を回復するための象徴的な制裁として提示されている印象でした。捕虜側・看守側のどちらにとっても、「規則が崩れること=共同体が崩れること」に直結するため、見せしめ的に極端な方法が選ばれてしまう、という流れです。 もう一つ大きいのが、登場人物たちの“感情の衝突”です。作中では、言葉にできない敬意や執着、反発が複雑に絡み合っていて、理屈で整理しにくい熱量がある。あの処罰の場面は、個人の感情が軍の論理(体面・規律)に回収されていく瞬間でもあって、「誰かが誰かを憎んでいるから」という単純な理由だけでは説明できないのが怖いところだと思いました。 私が見返して一番しっくり来たのは、「生き埋め」そのものが“死”というより“屈辱と沈黙”のメタファーになっている、という見方です。声を上げること、異物として立つこと、感情を表に出すことが許されない空気の中で、土に埋める行為は“存在を消す”に近い。だからこそ観客側は強烈に記憶に残るし、検索でも「なぜ」が増えるんだと思います。 そして、この映画のテーマと坂本龍一さんの音楽(=あの静かで美しい旋律)が、残酷さを美化するのではなく、むしろ「人間の弱さ・揺れ」を浮き彫りにしているのもポイントでした。ライブでギターアレンジを聴いた後だと、同じメロディでも“祈り”みたいに感じる瞬間があって、映画の場面の重さが余計に刺さります。 もし「生き埋めの理由」をもっと腑に落としたいなら、(1)その直前に起きた規律違反(体面を潰す出来事)が何だったか、(2)誰が誰に恥をかかされたと感じたのか、(3)周囲が止められなかった空気は何か、の3点を追うと理解しやすかったです。