กินอาหารเช้าฉันทำโอยามาคุมิ 116
ฉันเล่นทั้งวันเมื่อวานนี้ ฉันมีช่วงเวลาที่มีความสุขโดยมีผู้หญิงสวยคนหนึ่งเลี้ยงฉันด้วยกาแฟกลางไดรฟ์
แต่ฉันไม่ได้ใช้คำเดียวเหมือนหมอดูเพราะฉันอยู่กับโอยามาคุมิ
ตามที่ Oyamakumi ผู้ซึ่งกดดันให้ฉันหยุดโพสต์บนมะนาว 8
เขาพูดว่า "นั่นคือแฟนของคุณ"
"ไม่กังวล แต่เป็นแฟน"
ฉันพึมพำดังนั้น
ฉันคิดว่าโลกเต็มไปด้วยความเมตตาและความเห็นอกเห็นใจ
เมื่อวานฉันอาจจะอารมณ์เกินไปเล็กน้อยหลังจากบอกลาเจ้าหน้าที่ไลน์
「想像力は未来だ。人への思いやりだ。それをあきらめた時に、破壊が生まれるんだ」って言葉、疲れている時ほど刺さります。私も、誰かの言葉や態度が怖くなって「もうやめようかな」って思ったことがあります。そんな時って、相手を“敵”に見立ててしまって、こちらの想像力が一気にしぼむんですよね。 でも実際は、相手にも事情があって、言い方が不器用なだけだったり、関心が強すぎて距離感が近くなってしまったり。もちろん、無理に受け止める必要はないけど、「もしかしてファンなのかも」という見方ができるだけで、心の中の破壊衝動みたいなものが落ち着く気がします。攻撃し返す代わりに、深呼吸して一回保留にできる。それが“未来”につながる想像力なのかもしれません。 私が意識しているのは3つです。 1つ目は、反応する前に“事実”だけを拾うこと。「投稿をやめて」と言われた=相手が自分を否定している、と決めつけない。言葉は強くても、背景は分からないから。 2つ目は、境界線を引くこと。思いやりは“我慢”じゃないので、つらい時は距離を置く。返信を急がない、ミュートする、相談する。自分を守るのも思いやりだと思います。 3つ目は、小さな優しさに触れる時間を作ること。例えば、誰かにコーヒーをご馳走してもらった瞬間みたいに「あ、世界ってまだ優しい」って思える体験。朝ごはんを作って食べるのも同じで、胃が満たされると気持ちが戻ってきます。 想像力って、大きな理想じゃなくて、今日を壊さないための小さな選択の連続だなと感じます。思いやりをあきらめないために、まずは自分の心を温める“朝ごはん”みたいな時間を、少しでも確保してみてください。