正義感という名のお節介

拾い画像です。

投稿者の男性は「正義感」と言っていますが、周囲から見れば単なるお節介に過ぎないのかもしれません。

電車内でのマナー違反を見過ごせず注意した結果、学生たちに羽交い締めにされ、衣服まで破れてしまったそうです。

家族からも「警察官でもないのに」と呆れられ、結局は自ら傷つくだけ。

本人は「正しいことをした」と思っているのかもしれません。

ですが、現代ではそれは余計なお世話、もしくはトラブルの火種にしかなりません。

誰も頼んでいないのに首を突っ込み、場をかき乱す――それを「正義感」と呼ぶのは少々都合が良すぎる気もします。

正義感とお節介、その境界はどこにあるのでしょうか。

皆さんはどう感じますか?

#コメント大歓迎 #子どものいる生活 #敬老の日 #これ知ってますか #しあわせは勝ち

2025/9/28 に編集しました

... もっと見る私も以前、電車内でのマナー違反に対して注意をした経験があります。例えば、席を占領している人に声をかけたところ、思いがけず冷たい反応を受けたり、時にはトラブルに発展しそうになったこともありました。 正義感から善意で声をかけても、相手の捉え方次第で「お節介」と受け止められることが多いのが現状です。特に、今回の男性のように羽交い締めにされ衣服を破られるほどの身体的なトラブルに発展するケースは稀ですが、警察官でもない一般人が介入することのリスクの高さを感じました。 私はその後は、まず自分の安全を確保しつつ、場合によっては駅員や警察に相談する方法を選ぶようになりました。自分の「偏狭な正義感」だけではなく、社会的なルールや周囲の状況も踏まえた行動が求められると痛感しています。 同時に、正義感とお節介の境界は非常にあいまいで、善意が必ずしも善意として受け取られない難しさも感じます。現代の多様な価値観や個人の生き方を尊重しつつ、どうすればトラブルを避けつつ周囲に気を配れるのか、これからも考えていきたいテーマです。

28件のコメント

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yu.h

突然蹴飛ばしたら、喧嘩売られたようにしか思わないですよ😅それは。

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Hiromi

注意するにしても、いきなり蹴るのはどうかと思いますが。

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