夫婦の秘密(第29話)「朝の散歩道」
※この物語はフィクションです
九月二十五日、水曜日の朝六時半。秋の気配が少しずつ濃くなり、空気がひんやりと澄んでいる。家の前の道に出ると、朝露に濡れた草が光を反射してきらきらと輝いていた。子どもたちはまだ布団の中。夫と二人だけで、いつもの散歩道を歩き出した。
「涼しくなったね」
私がそう言うと、夫は「やっと歩きやすい季節になったな」と頷いた。並んで歩くと、川沿いの木々が少しずつ色づき始めているのがわかる。
平日の朝に二人で散歩できるのは珍しい。子どもたちが成長して少し手が離れてきたからこそ、こうして短い時間を持てるようになったのだと思う。
途中、小さな公園のベンチに腰を下ろすと、夫がポケ ットから小さなチョコを取り出して差し出してくれた。「朝から甘いのも悪くないだろ」そう言う彼に、私は思わず笑った。結婚前、デートの帰り道でコンビニに立ち寄り、一緒にチョコを食べたことを思い出した。
「懐かしいね。昔もこんなことあったよね」
「うん、あの頃は毎日が特別だった」
「今も特別だよ」
自分でも驚くほど素直にそう言葉が出た。夫は少し照れたように視線をそらしたけれど、その頬がわずかに赤くなっているのを私は見逃さなかった。
――夫婦生活は、華やかな出来事よりも、こうした日常の中で積み重ねていくものなのだろう。すれ違いや小さな苛立ちもあるけれど、それ以上に共有できる時間があることの幸せを感じる。朝の散歩道で交わす何気ない言葉や笑顔が、私たちの関係を静かに支えている。
ベンチを立ち上がり、再び歩き出す。東の空から太陽が顔を出し、川面を黄金色に染めていく。時計はそろそろ七時前。家に戻れば、慌ただしい一日がまた始まる。
でも今この瞬間だけは、夫と並んで歩く時間を大切にしたいと思った。
――夫婦の秘密は、特別な場所ではなく、こんな朝の散歩道に潜んでいるのかもしれない。
心の中でそうつぶやきながら、私は夫と家へ向かう道を歩いた。






