ボクが作った朝ごはんを食べるおおやまくみ138
日本映画でもハリウッド映画でもあんまり予定調和過ぎる脚本が好きではありません。
まあ万人受けするようにシンプルに書いていらっしゃるんでしょうけど予想されるオーディエンスにアジャスト出来なかったシナリオを使い回しているとしたら最悪を通り越して最早恐怖ですよね?
ところで昨日は苦手な電話を結構掛けさせて頂いたんですがそれだけで色んな事が分かりました。
分かりやすくて良いんですけどあんまり激しく拒否されるって事は「なんかあるのかな?」普通は思ってしまいますよね?
物書きの端くれとして。
別にボクはラブロマンティックSFコメディ以外はもう絶対に書きたくないです。
だから自然に生きて行きましょう。
それから不自然な幼稚園児さんなんてどう考えてもおかしいでしょう?
ボクのシーンに絡める男性がもし存在するとしてもその方はボクの中ではもう全部決まっておりますので難しいです。
頑張っている方を悪く言うのは絶対に嫌なので見えない感じにするしかないんです。
あなたたちには先ずボクの聴く本が必要です。
チンパンジーは強くて優しくてかしこいオスがモテます。
世界は優しさと思いやりに満ち溢れています。
あなたにはまだ巡り合っていません。
音楽家・文筆家
せにょおる☆
最近、「ボクの理想の異世界生活」みたいに“理想の世界”を思い描く話題を見かけるたびに、現実の自分はどう生きたいのかを考えるようになりました。異世界ものって、都合よく進む展開が気持ちいい一方で、わたしは予定調和が続きすぎると急に冷めてしまうタイプです。うまく言えないけど、「最初から正解が用意されている感じ」が強いと、登場人物の息づかいが消える気がして。 この感覚、フィクションだけじゃなくて、日常の会話でも同じでした。苦手な電話をかけたとき、要件そのものよりも、相手の反応の“硬さ”が気になったんです。普通に断られるのはいい。でも、必要以上に激しく拒否されたり、こちらが説明を始めた瞬間に遮られたりすると、「え、何か触れちゃいけない地雷があるのかな?」って、どうしても想像してしまう。物書きの癖なのかもしれません。 あと、最近気になっていたのが、ネットで見かける言葉の強さです。「夢で逢えたなら 検索してはいけない」みたいな煽りは、確かにクリックしたくなるけど、怖がらせる前提で作られた導線って、見終わったあとに変な疲れが残ることが多いです。わたしは怖い話自体は嫌いじゃないのに、“不安を買わされている感”が出てくると距離を置きたくなります。 「都市伝説解体センター オーディオドラマ」みたいに、音だけで想像させる作品は逆に好きで、余白があるぶん自分の解釈が入りやすいんですよね。説明しすぎない、決めつけすぎない。そういう作りって、予定調和の反対側にある気がします。 それと、現実の生活情報も、意外と“予定調和”に寄りやすいと思っています。たとえば「ooho 値段」を調べると、結論だけが並んでいて、実際に使った体感や、何を優先して選んだかが薄い記事が多い。でも自分が知りたいのは「この値段で何が良かった?」「どこが微妙だった?」みたいな生の部分。わたしは買い物するとき、価格だけで決めないようにしています。安い・高いよりも、使ったあとに気持ちが自然でいられるかどうか。 「大穂交流センター」みたいな場所も同じで、公式情報より先に知りたいのは“行った人の温度感”です。混み具合、居心地、スタッフさんの距離感。そういう小さな情報が、予定調和じゃないリアルを作ってくれます。 最後に、「渋々 制服」みたいな言葉を見て思うのは、渋々でもやらなきゃいけないことがある日は、せめて自分の中で理由を言語化したほうが楽だということ。納得の筋が通ると、不自然さが少し減っていきます。結局わたしは、物語でも生活でも、“自然に生きる”方向に戻りたいんだと思います。






























