ボクが作った朝ごはんを食べるおおやまくみ151
ある日急に釣りに連れて行って貰う事になりました。
着いたよと言われてクルマから降りるとそこは釣り堀でした。
内心ボクは本当の釣りじゃ無いと知って、ちょっとだけがっかりしました。
でも何とか子供らしく嬉しいフリをしました。
「これから釣り大会を始めます」
ニコニコした知らない人の宣誓でゲームが始まりました。
ボクは釣りをするのは初めてだったのですが、隣にいたやさしい人がやり方を教えてくれました。
ボクは大人達のやり方を良く見て"浮き"から"釣り針"までの長さを 知りました。
みなさん同じくらいの長さだったので、
(別の深さにいるおさかなを狙おう)
と考えました。
どう考えても大人達には敵わないと思ったからです。
それでボクは教えてくれた隣の人に気が付かれない様に浮きから釣り針までの長さを勝手に長くしました。
結果はボクの優勝でした。
「あんなのインチキじゃないか!」
隣にいた優しかった人がいの一番にボクに言い放ちました。
鬼の形相です。
ボクは悲しかったので魚を全部放してから言いました。
『ボクはゼロ匹です』
釣りに連れて行ってくれたボクの叔父さんは帰りのクルマで何も言いませんでした。
駅に着いてお別れを言って帰る時に叔父さんはボクに子供にとっては相当な大金の紙幣を出してこう言いました。
「優勝おめでとう」
このお話はこれでお終いです。
好きだった叔父さんも今はもういません。
ボクはあれからもう釣りはやらなくなりました。
あの日の事を思い出してしまうからです。
世界は思いやりと優しさに満ち溢れています。
あなたには未だ巡り合っていません。
釣りと聞くと自然の中で魚を狙う本格的なイメージが強いですが、釣り堀での体験もまた別の楽しみがあります。私自身も子供の頃、釣り針や浮きの長さを工夫して釣りの大会に参加した経験があります。釣り堀は誰にでも魚が釣りやすい環境を提供しているので、初心者でも気軽に挑戦可能です。しかし、この記事の主人公が感じたように、子供心には“本当の釣りじゃない”といった複雑な感情が湧くこともあります。 それでも大人たちの中でどうにか自分らしい戦略を見つけ出して優勝を勝ち取ったエピソードからは、子供なりの限られた環境での挑戦心と工夫が伝わってきます。そして、優しい人からの厳しい言葉や叔父さんからの温かい祝福も、成長する中で感じた人間の複雑な感情や優しさを表していますね。 私が釣り堀で学んだのは、単なる釣れた魚の数だけでなく、周りの人とのコミュニケーションやルールを守ることの大切さです。子供の頃の小さなインチキ心も、大人になって振り返ると人間らしい感情として懐かしく感じられます。また、自然の中での釣りとは違い、釣り堀は魚を放して自然環境にまた返せることが多く、環境への配慮もしやすい点が魅力です。 この記事の話のように人と人との思いやりや優しさ、そしてルールの尊重は、スポーツや遊びだけでなく、社会生活全般においても重要な教訓です。皆さんもぜひ、釣り堀に足を運んでみて、魚を釣るだけではなく、“釣り大会”というゲームの中での人間関係や思い出づくりを楽しんでみてはいかがでしょうか。











































